人生が楽しくないってヤツちょっと来い / あなたは不快な電流を黙って浴び続けているイヌだ
(若造の主観に基づいて書かれた駄文につき、あたたかい気持ちで読んでいただければ幸いです)
「選択の科学」という本より抜粋
コーネル大学のマーティン・セリグマンが心理学の様相を一変させることになる、一連の実験を行った。研究チームはまず、ビークルやウェルシュ・コーギーほどの大きさの雑種犬を1匹ずつ白い箱に入れてゴムで作った器具で全身を固定した。それからイヌの両側にパネルを置いて、ほとんど身動きがとれない状態にした。パネルには首のところに小さな穴をあけ、そこにくびきを通して、二匹ずつイヌをつないだ。
実験の間それぞれのペアは、無害だが深いな電気色を周期的に与えられた。しかし、二匹が入っていた箱には、大きな違いがあった。一方の箱は、イヌが花で両脇のパネルのどちらかを押せばショックを止められるようになっていた。もう一方の箱はイヌがどんなに身をよじってもだえても、ショックを止めることは出来なかった。
ショックは同期化されていて、両方のイヌに対して同時に始まり、ショックを止められる方のイヌがパネルを押したとき、同時に終わった。つまり、与えられたショックの量は、どちらのイヌも同じだった。
しかし、一方のイヌが痛みを自分の意志でコントロールできるものとして経験したのに対し、もう一方はそうではなかった。ショックを自力で止められない方のイヌは、すぐに哀れっぽく鼻を鳴らすようになった。この不安と落ち込みの兆候は、セッション終了後も持続した。これに対しショックを止められたイヌは、多少のいらだちは見せたものの、すぐにショックに身構え、パネルを押して痛みを回避することを学んだ。
実験の第二段階では、両方のイヌを新しい状況に置いて、自分の意志で状況を変えた経験、または変えられなかった経験が、どのように活用されるかを調べた。
低い壁で二つの部屋に仕切られた大きな箱を用意して、二匹のイヌを一方の部屋に入れた。イヌ達のいる方の部屋には、床に周期的に電流を流し、もう一方の部屋には流さなかった。仕切りは低く、簡単に飛び越えられるようになっていた。
この実験において、前の実験でショックを止めることが出来たイヌは、すぐにショックを回避する方法を見つけた。しかし、ショックを止められなかったイヌの3分の2が、ただじっと横たわって苦しみ続けた。
ショックが続くと、イヌは哀れっぽく鼻を鳴らしたが、決して逃げようとはしなかった。ほかのイヌが壁を飛び越えるのを見ても、研究者達に箱の向こう側に引きずっていかれ、ショックを回避できることを教えられても、イヌはただあきらめて、苦痛に耐えるばかりだった。
仕切りの向こう側にある苦痛なく世界は、すぐ近くにあり、すぐ手に入るものでありながら、このイヌ達の目にはまったく入らなかったのだ。
自分の置かれた状況を自分でコントロールする能力を完全に奪われたイヌは、自分の無力さを思い知った。後にコントロールを取り戻しても、イヌの態度が変わらなかったのは、コントロールが取り戻されたことを認識できなかったからだ。その結果、イヌ達は事実上、無力なままだった。
つまり、動物達にとっては、実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、コントロールできるという認識の方が、はるかに大きな意味を持っていたということになる。
抜粋以上。
これ、今の日本の若者の状況と酷似してないか?
バブル経済が崩壊したのがだいたい1990年くらい。
今から22年くらい前。
その当時、中学生だったくらいの年代が今は34,5歳くらいか。
これくらいから下の年代は、好景気を経験していない。
むしろ不景気をずっと目の当たりにしてきた年代といっていい。
(以下は、自分の主観)
今の30代前半は、頑張って勉強して社会にでても、経済的に豊かになることを経験しておらず、さらに上の世代からは「社会なんだから厳しいのは当たり前!今は耐えて、踏ん張って、会社に尽くしていればきっと楽になる」と言い聞かせられてきた。
20代後半もこの流れを背負ってる。「社会が厳しいのは当たり前!経済的に苦しいのはみんな一緒!」と社会から言い聞かされて頑張ってる。
「社長になって、金持ちになって、良い車に乗って、一戸建てで」なんて声高に話せば、鼻で笑われるレベル。
20代前半やそれ以下の年齢あたりから、方向性が変わってくる。
経済的な指標以外のカテゴリーで人生を考えるようになる。「経済的に苦しいのは当たり前、その中でいかに面白おかしく人生を楽しむか」となる。
こういった社会や人生に対する判断は、
長い間、身動きがとれない箱で、「不景気」という不快な電流を浴び続けてきたからではないか?
コントロールが効かない状況下において、多くの人が経済的に豊かになることをあきらめてしまっているのではないか?
不快な状況下において己の無力さを思い知った若者は、コントロールができる状況を取り戻しても、態度を変えていないだけなんじゃないか?イヌと同じように。
上記の実験の中で、
「ショックを止められなかったイヌの3分の2が、ただじっと横たわって苦しみ続けた」の一文も示唆に富んでいる。
そう、3分の1は、今の状況に気づいてコントロール可能な環境に移行しようと行動している。この割合も人間に引き直すと少し多いかなと思うものの、感覚的には「これくらいはいるかも」と思える数字ではあると思う。自分の周りの若い連中の中にも経済的に豊かになるために行動している人間はたまにいる。
世は、インターネットで確度の高い情報をいつでも、どこでも引き出せる時代。
そして、人とのつながりも自分次第でいくらでも広げられるし、付き合う人間を選ぶのも昔より遥かに受け入れられやすくなっている。
ソーシャルメディアによって、共感する人間とのつながりも持ちやすくなった。
10年前は違った。
でも身の回りの環境をコントロールできるツールが今は揃ってきている。
若者は、10年前には耐えるしかなかった環境から、
コントロールできる状況を取り戻したのかもしれない。
動物実験の重要な教訓をもう一度引用する
「動物達にとっては、実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、コントロールできるという認識の方が、はるかに大きな意味を持つ」
今の不快な状況は、行動によって回避できるものかもしれない。
動物実験のように簡単に抜け出せるものではないかもしれない。そこは人間社会だから、相応の努力は必要だろうし、くじけそうになる目に合うことも多いだろう。
でも行動すれば、不快な電流に永遠に苦しめられることがなくなる可能性がある。
コントロールは手元に戻ってきている。
苦痛に耐えて、哀れっぽく鼻を鳴らすだけではだめだ。
ただじっと横たわって、苦しみ続けてはだめだ。
周りに壁を飛び越えたイヌがいるかもしれない。
いま自分たちに求められる最適な行動は認識することだ。
「いまわたしたちは、コントロールできる環境にいる」
以上、若造の猿知恵でした。