政治ってなんだろう?ノーベル経済学賞受賞者が考える政治の在り方

「中央銀行についての大嘘」BY JOSEPH E. STIGLITZ

この記事を見て考えたことを書きます。


政治って何だろう?

改めて考えるとよくわからない。

そして、その答えのヒントとなるのが上の記事の中に書かれていた。


詳細は上の記事を見てもらうとして、注意を引いたものを以下に書き出してみます。


↓↓↓↓↓↓↓↓以下引用↓↓↓↓↓↓↓↓

「経済成長とそれに伴うインフレの危険性、デフレによる失業率の上昇」

これらは、トレードオフの関係にある。


トレードオフというのは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のこと(by wikipedia)つまり、「あちらを立てればこちらが立たず」「Aの利を図ればBの利が損なわれる」という関係のこと)


確実なことは誰にも言えない。予測されたリスクは常に避けられない。そのことによる負担を誰が負うかは政策によって異なるものになるので、その決断を下すのを中央銀行の専門的技術者に委ねることはできない

引用以上。

つまり、トレードオフの問題を解決する役割は政治家にゆだねられるべきだということ。

限られたパイを分配する際は、必ずトレードオフの問題が生じる。

このときに誰に利するかという問題は、政治家が大局的な視点で決断しなければ成らないということ。

なぜか、

政治家がその決断を誤ったときには民衆がその政治家に「no」を突きつける仕組みになっているから。

民主主義国家では、政治家は民衆の利益を図るべき立場にあり、民衆の選定を経た人間が政治家になっている「はず」


そうであれば、トレードオフという「全ての大衆が喜ぶわけではない事柄」を判断するのは政治家が最もふさわしい


そして、若造は猿知恵ながら疑問の答えを得たのでした。


政治家とは何をする人間か?

答えは、

トレードオフの問題について、大局的な視点から解決法を決断する人」


これ以上でも以下でもない。

こういったことをしていない人間は政治家としてふさわしくない。

政治家としてふさわしくない人間の定義も合わせて書いておこうかな


政治家としてふさわしくない人間はどんな人間か?

答えは、

トレードオフの問題について、目先のことにしか目がいかず、馬鹿げた解決法を決断する人間」

もしくは、

トレードオフの問題について、目先のことにしか目がいかず、解決法を決断すらしない人間」


あぁ、民主党の人に多そうな定義が出来上がったなぁ

・世界の中心でバカみたいに友愛を叫んだルーピー鳩山
・大震災時に信じられないほど判断を丸投げしまくった管
・「近いうち」を半年間引き延ばした野田
・政治家のエゴで大学認可を取り消した田中眞紀子
口蹄疫問題時にゴルフ三昧だったにも関わらず衆議院議長の赤松


あぁ腹が立つ。


イライラしたところで今日は終了。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました

通貨安競争って実際のところどうなん?

2013年も残り341日

今年はくじけずにブログを更新できるといいな



少年老いやすく学成り難し

一寸の光陰軽んずべからず




といいつつ、既にブログの更新できるほどの根性とヤル気を仕事にとられていると思うが。

新政権誕生による新しい政治の動きがめまぐるしい

アルジェリアの事件も痛ましいし、リフレ期待による円安基調も急激すぎる感は否めないではない


ここで、ふと目にしたリフレ政策に対する

「通貨安競争に突入するのではないか」というアベノミクスへの批判に対して、少しだけ調べてみた


通貨安競争とはなんだろう?

答えは、世界各国が通貨の価値をどんどん落としていくことにより、自国貿易の価格競争力を保とうとする動き。

これに伴う一時的な貿易摩擦のことだ。



出典なし。これ、私の解釈なんで違っていたら教えてください。


自分は基本、情弱なんでこんな議論は、ちまたでは尽くされているかもしれないが、

例によって自分への備忘録として、頭の中の整理として通貨安競争についてまとめたみた。


参考にしたのは以下のサイト
→ 通貨戦争を防ぐ方法

→ 通貨切り下げ競争による回復 BY BARRY EICHENGREEN


これに対する自分の理解 ↓


・通貨安競争は、世界各国が足並みを揃えた金融政策をとらないのであれば、必然的に生じるものである

・通貨の切り下げを行わない国は、デフレに悩まされることになる

・世界的な不況時にリフレ政策をいち早く実行した国が、いち早く危機から回復した

・通貨安競争が悪く作用するのは、デフレに悩まされた国が解決策として保護主義的政策をとるときである

・世界各国のリフレ政策は、保護主義的政策を抑制するという点で実に効果的な成果をあげている



ここまでが、頭の悪い若造の限界だった。

これらのことからわかるのは次の二つ


「通貨安競争」は自然発生的に生まれる対抗策をたてるのが困難な現象である。

これにより割を食うのはリフレ政策に踏み出せない国である。



こんだけ。

通貨安競争はそれ自体、対して問題視すべきもんじゃない。

通貨安にすればするほど、自国の競争力を保つことはできるかもしれないが、

急速な金融緩和は、自国の急激なインフレを巻き起こし、バブルを招くことになる。

2〜3% の金融緩和を継続的に行っている限りは、通貨安競争における必要以上の損失を受けることも無いし、

急激なインフレによるバブルを経験せずに済む


こんだけ。

これに乗っかろうとしてこなかったから日本は世界的な好景気に乗っかれなかったんだろう

それでもGDPが後退していないところに日本経済の底力を感じる

日本はこれからきっと良くなる

世界共通の「政治の根本的な欠陥」とは?

年商数十億規模の会社を十数社持っている億万長者が語っている

政治の根本的欠陥が文句無く、的確に表現されていたので、

備忘録として書き留めておく


以下、引用(部分的に勝手に文章を組み替えています)

政治的活動には根本的な欠陥がある。

駆け引きは力を利用する。

そして、力は、ご存知のように堕落する。


世の中の役に立ちたいと考え、そのために他人を支配する力が必要だとすると、

正直でいるか、根底に悪意を持つかの二者択一を迫られることになる。



表向きは、政治と事業の目的は同じに見える

どちらも世の中をもっと良い場所にするためにある。

しかし、方法は違う。


政治家は力を持つまでは良いことを始められない。

事業かは、良いことをするまでは利益を得られない。


多くの政治家は、良いことをしたいという意欲にかられ、

市民に喜んでもらえる仕事をするために必要な権力を手に入れようとして

(必要なら)有権者を欺いてもかまわないと考える。

これが政治システムの宿命だ。


政治家は、最初は正直な気持ちでも、遅かれ早かれ、選択を迫られる

今嘘をついて後で良いことをするか、正直なままでいて良いことをする機会を失うか

良いことをすると決めたら、腐敗するしかない


引用以上。


これすごく良くわかる。


下っ端の政治家ってなにやってるんだろうって思うほど

実績を聞かない。

きっとお偉いさんの手足なんだろう

目的は、ひとつ。引っ張り上げてもらうためだ。

このような「政治活動」という文脈の中で生きていて、努力する中で

だんだん有権者から目を離していってしまうんじゃないだろうか。


今までのモヤモヤが晴れた一節だったんで、備忘録と共有。

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なぜ、ボクらはこんなにも怠け者なんだ???世界が生物に変化を強要しない時代はないのに


自分は、金持ちになりたい。

研究によれば、年収1600万円を超えると、所得の増減が人間の幸福度に及ぼす影響に相関がなくなってくるとのことなので、とりあえず、その程度までには金持ちになりたい。

金持ちになるには、金持ちになり得る人間性に自らを変化させなければならない。

しかも、ただの金持ちではない。

「0から金持ちになれる人間」に生まれ変わらなければならない。

いま金持ちではないのだから。




生物は強い者が生き残れるんじゃない。

自らを変化させられるものが生き残れる




自らを変化させるとはどういうことだろう?

要は、時間とお金とエネルギーと頭の使い方を変えるということだ。

時間は有限、お金も有限、自らが動ける範囲も有限、思考のキャパも有限だ。




これは改めて言うまでもない




今までの生活で金持ちになれていないということは、

今までの生活の中でなにかを捨てて、その分、金持ちになれる行動を取り入れなければならないということだ。

なにかを捨てなければ、新たな何かを得ることはできない。




なにを捨てるか、なにをどの程度捨てるかはそれこそ個人の問題だが、

これを理解できないと何も変えられない自分へのイラつきと不満が溜まる。

自分にイラつきを向ける人はまだマシ



世間や他人にイラつきを向けだすと

人生しんどくなる。なにも自分の思い通りにならないと感じる人生ほどつまらないものはないだろう。人生ままならないものだが、自分の行動は変えられることを忘れちゃならない。

[http://blog.langrich.com/2011/11/17/ted003/]

TEDで見た「30日チャレンジ」は、自分を変えるためのアイデアの一つだと思う。


実はこの動画を見る前から同じようなことをしていたが、この動画を見て

より意識的にチャレンジへの意欲が出てきている。





7月初めからチャレンジに挑戦したとして、

2012年が終わるまでの間に6回、自分の行動を変えられる。

器の中で(金持ちになるためには)必要ない6つの行動を取り出し、(金持ちになるために)必要な6つの行動と取り替えることができる。

一度取り替えてみて、ウマく行かなければそれはやはり自分に必要なものだったのだろうということを知ることが出来る。

平成24年度で考えれば、あと9回も、新たなことにチャレンジできる。



時には多忙すぎて、ついチャレンジ前の行動に戻ってしまうこともあるだろう

でもそのときはまた30日かけて行動を変えればいいんだ。難しいことじゃあない。

やらない理由もない。




変化を楽しんでやってみよう

変化を恐れるな。安寧にあぐらをかくな。怠けるな。



常に良い自分でいられるよう、日々変化を重ねる。

たぶんそれが、月日を楽しむということにつながるのだと思う。




先月出来なかったことが今は出来る・・・こんなに楽しいことがあるか?

去年できなかったことが今は出来る・・・こんなに自分を誇らしく思えることがあるか?



若造の、若造による、若造のための激励でしたぁ



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タイムスパンで見る人材登用。あなたのタイムスパンは?配置は適切か?

 読んだ本からの引用(引用する文章は、随時抜き出しているため、順番はバラバラ)


 ハーバード大学出身の心理学者、エリオット・ジェイクスによれば、

 人はそれぞれ、生まれ持った各自のタイムスパンで思考する。

 一日か二日先のことだけ考えれば落ち着く人、数週間先のことまで考える人、数ヶ月先のことまで考える人、数年も先のことを見ることが出来る人


 このタイムスパンは、生まれつきの性質によるもので、後から組み替えることは出来ないという。


 従業員を配置する際に、とても重要なことは、

 従業員のタイムスパンを特定することだ。そして、本人が生まれ持った回路にぴったりの仕事に配置すること。


 従業員本来の性質を超える階層で仕事をさせれば、誰にとっても不幸につながる。


 階層1は、
 一般社員の仕事。手順が決まった単純作業で簡単なツールや機会を使うことが多い。機械工やデータ入力のオペレータなどはこの区分に属するだろう。

 階層2は、
 その単純作業の遂行を確実にする仕事。レベル1のマネージャーの仕事だ。

 階層3は、
 階層1の作業員が行う仕事や階層2の管理業務を作り出す仕事。ディレクターやミドルマネージャーと言われる仕事だ。

 階層4では
 さらに高度な管理業務、仕事を生み出す職務を担う人の仕事が確実に行われ、その仕事が有意義なものであるように監督する業務になる。

 階層5は、
 仕事を生み出す人材を監督する者の上にたつ人間、CEOだ。


引用以上。


 この研究成果、とても秀逸な見解だと思う。

 身の回りの同僚や先輩を見て、たしかにタイムスパンが違うことを感じる。

 読者の皆さんはどうだろう、身の回りの人間で、タイムスパンに即した人員配置がなされているかどうかというのを考えながら仕事をしてみると、また違った視点で職場に行けるのではないか。

 タイムスパンが短い人でも、目覚ましい成果をあげるスーパースターはいるもので、タイムスパンが長いから偉い、というわけではなかろう。

 しかし、著者によるとタイムスパンが長ければ長いほど、希少性が高い。

 つまり、日や週単位というタイムスパンで思考する人はどこにでもいるが、数ヶ月単位、数年単位で思考する人はそれに比べて極端に数が少ないのだそうだ。


 結果、タイムスパンが長い人が職務権限も広く持つことになるのだろう。



 自分はどのようなタイムスパンを持っているか、考えてみた上で、自分を偽らず、自分が最も能力を発揮できる場でビジネスに望みたいものだと考えた若造でした。


 くそまじめな文調ですんませぇん。

 最近忙しくてブログ更新もサボってまして、ブログのメモ書きをそのままコピペするとこうなっちゃいました。普段どんだけ、つまんない文章書いてるんだよって話だけど。


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そもそも日本人は電流を浴び続けるイヌだった!?日本の選挙における無力感の正体…

またもや「選択の科学」からの引用と考察


上の5秒間だけ見て、目をつぶり、どんな情景だったか口で説明してください。
(写真は本からの引用でなく、適当にわたしが選んだものです。。。)



 有名な実験かもしれないが、これほど単純な課題でさえ、見る人が個人主義的、または集団主義的な世界観を持っているかで答え方が大きく変わる。

 アメリカ人がこの情景のいわば「主役」であるガゼルに注目するのに対し、日本人はより包括的な視点から情景を説明する。


 アメリカ人にとって、この情景における決定的に重要な主体は3匹のガゼルで、それが周りの全てのものに影響を及ぼしていた。だが日本人にとって、情景を支配していたのは環境であり、環境がその他のものに働きかけ、影響を及ぼしていた。


 これらの実験が意味するのは、特定の状況を支配する主体が誰なのか、あるいは何なのかという認識を形成する上で、文化が重要な要素になっているということだ。



 オリンピックメダリストの受賞スピーチでもこれらのことはうかがえる。アメリカ人は成功要因を、個人の能力や努力という観点から説明することが多かった。
「ただ集中を維持することだけを考えました。自分の実力を世界に見せつける時が来たと・・・自分に言い聞かせたんです、『いや、今夜の主役は俺だぞ』って」。


 他方日本人選手の多くは自分を支えてくれた人たちのおかげで成功したと考えていた。
「世界最高のコーチと、最高のマネージャー、応援してくださった方々、みなさんのおかげで金メダルが取れたんだと思います。自分だけの力じゃありません。」



 個人が自分を取り巻く状況をどれだけコントロールできるかという認識の違いについて、アメリカ人と日本人とでは、歴然とした差があったのだ。
 一般にアジア人は西洋人に比べて人が他人に与える影響が限定的であり、人生は運命に大きく左右されると考えていることが報告されている。


ーーー引用以上

 こういったことに今の日本の閉塞感と

若者をして「選挙なんてくだらない」と言わせるヒントが隠されているのかもしれない。


 個人が自分を取り巻く環境にどれだけの影響を与えられるかについて、日本人はかなり限定的にしか自身の寄与度を考えない。


 これが選挙のときの「どうせ投票に行ったって変わりやしない」につながる


 アメリカ人はこうは考えない

 環境に対する自身の影響度をしっかりと認識しているからだ。




 こう考えると、

 日本の文化にもっと合った選挙のやり方があるのではないか?と思えてくる。





 わたし自身も、個人が自身を取り巻く環境に与える影響を低くとらえている。


マニフェストを比較検証する時間があるなら、投資対象についての情報収集に時間を割きたい」


 選挙に行かない人の思考は、こういった感じで、似たようなものだろう。

 自分の世間に対する影響度なんて、たかが知れている。
 それより自身が制御可能な領域において、自身を利する行動をとる方がお得だ。


 集団主義的文化に属するからこそ、

 選挙時のように国の大勢を決定する局面においては、じつに個人主義的な行動を選択するのだ。




 そんで、表面的には現れない「国民の声」と、実際の政治が乖離していく

「日本の政治は相変わらずウンコ」「でも最初から期待していないし、しかたがない」

 とこうなるのだ。





 日本の選挙


 もっと日本の文化に合ったやり方はないものか。


 わたしたちはもっと認識しなければならないのかもしれない。

 自分が環境に与える影響は決して小さなものじゃない。



「日本の政治が情けない?」

「いや、それはおまえ自身の責任だ」

「ブーブー、ピーピー言うなら、実際に行動してから言え」


そう自分に言い聞かせて、今回の選挙を考えてみようかなと思った若造でした。

人生が楽しくないってヤツちょっと来い  / あなたは不快な電流を黙って浴び続けているイヌだ

 (若造の主観に基づいて書かれた駄文につき、あたたかい気持ちで読んでいただければ幸いです)


「選択の科学」という本より抜粋


 コーネル大学のマーティン・セリグマンが心理学の様相を一変させることになる、一連の実験を行った。研究チームはまず、ビークルウェルシュコーギーほどの大きさの雑種犬を1匹ずつ白い箱に入れてゴムで作った器具で全身を固定した。それからイヌの両側にパネルを置いて、ほとんど身動きがとれない状態にした。パネルには首のところに小さな穴をあけ、そこにくびきを通して、二匹ずつイヌをつないだ。

 実験の間それぞれのペアは、無害だが深いな電気色を周期的に与えられた。しかし、二匹が入っていた箱には、大きな違いがあった。一方の箱は、イヌが花で両脇のパネルのどちらかを押せばショックを止められるようになっていた。もう一方の箱はイヌがどんなに身をよじってもだえても、ショックを止めることは出来なかった。

 ショックは同期化されていて、両方のイヌに対して同時に始まり、ショックを止められる方のイヌがパネルを押したとき、同時に終わった。つまり、与えられたショックの量は、どちらのイヌも同じだった。
 しかし、一方のイヌが痛みを自分の意志でコントロールできるものとして経験したのに対し、もう一方はそうではなかった。ショックを自力で止められない方のイヌは、すぐに哀れっぽく鼻を鳴らすようになった。この不安と落ち込みの兆候は、セッション終了後も持続した。これに対しショックを止められたイヌは、多少のいらだちは見せたものの、すぐにショックに身構え、パネルを押して痛みを回避することを学んだ。

 実験の第二段階では、両方のイヌを新しい状況に置いて、自分の意志で状況を変えた経験、または変えられなかった経験が、どのように活用されるかを調べた。

 低い壁で二つの部屋に仕切られた大きな箱を用意して、二匹のイヌを一方の部屋に入れた。イヌ達のいる方の部屋には、床に周期的に電流を流し、もう一方の部屋には流さなかった。仕切りは低く、簡単に飛び越えられるようになっていた。
 この実験において、前の実験でショックを止めることが出来たイヌは、すぐにショックを回避する方法を見つけた。しかし、ショックを止められなかったイヌの3分の2が、ただじっと横たわって苦しみ続けた。



 ショックが続くと、イヌは哀れっぽく鼻を鳴らしたが、決して逃げようとはしなかった。ほかのイヌが壁を飛び越えるのを見ても、研究者達に箱の向こう側に引きずっていかれ、ショックを回避できることを教えられても、イヌはただあきらめて、苦痛に耐えるばかりだった。
 仕切りの向こう側にある苦痛なく世界は、すぐ近くにあり、すぐ手に入るものでありながら、このイヌ達の目にはまったく入らなかったのだ。



 自分の置かれた状況を自分でコントロールする能力を完全に奪われたイヌは、自分の無力さを思い知った。後にコントロールを取り戻しても、イヌの態度が変わらなかったのは、コントロールが取り戻されたことを認識できなかったからだ。その結果、イヌ達は事実上、無力なままだった。




 つまり、動物達にとっては、実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、コントロールできるという認識の方が、はるかに大きな意味を持っていたということになる。



 抜粋以上。


 これ、今の日本の若者の状況と酷似してないか?


 バブル経済が崩壊したのがだいたい1990年くらい。

 今から22年くらい前。

 その当時、中学生だったくらいの年代が今は34,5歳くらいか。


 これくらいから下の年代は、好景気を経験していない。


 むしろ不景気をずっと目の当たりにしてきた年代といっていい。

(以下は、自分の主観)
 今の30代前半は、頑張って勉強して社会にでても、経済的に豊かになることを経験しておらず、さらに上の世代からは「社会なんだから厳しいのは当たり前!今は耐えて、踏ん張って、会社に尽くしていればきっと楽になる」と言い聞かせられてきた。

 20代後半もこの流れを背負ってる。「社会が厳しいのは当たり前!経済的に苦しいのはみんな一緒!」と社会から言い聞かされて頑張ってる。
 「社長になって、金持ちになって、良い車に乗って、一戸建てで」なんて声高に話せば、鼻で笑われるレベル。

 20代前半やそれ以下の年齢あたりから、方向性が変わってくる。
 経済的な指標以外のカテゴリーで人生を考えるようになる。「経済的に苦しいのは当たり前、その中でいかに面白おかしく人生を楽しむか」となる。


 こういった社会や人生に対する判断は、
 長い間、身動きがとれない箱で、「不景気」という不快な電流を浴び続けてきたからではないか?

 コントロールが効かない状況下において、多くの人が経済的に豊かになることをあきらめてしまっているのではないか?
 不快な状況下において己の無力さを思い知った若者は、コントロールができる状況を取り戻しても、態度を変えていないだけなんじゃないか?イヌと同じように。




 上記の実験の中で、
「ショックを止められなかったイヌの3分の2が、ただじっと横たわって苦しみ続けた」の一文も示唆に富んでいる。

 そう、3分の1は、今の状況に気づいてコントロール可能な環境に移行しようと行動している。この割合も人間に引き直すと少し多いかなと思うものの、感覚的には「これくらいはいるかも」と思える数字ではあると思う。自分の周りの若い連中の中にも経済的に豊かになるために行動している人間はたまにいる。


 世は、インターネットで確度の高い情報をいつでも、どこでも引き出せる時代。

 そして、人とのつながりも自分次第でいくらでも広げられるし、付き合う人間を選ぶのも昔より遥かに受け入れられやすくなっている。

 ソーシャルメディアによって、共感する人間とのつながりも持ちやすくなった。



 10年前は違った。

 でも身の回りの環境をコントロールできるツールが今は揃ってきている。

 若者は、10年前には耐えるしかなかった環境から、
 コントロールできる状況を取り戻したのかもしれない。


 動物実験の重要な教訓をもう一度引用する

「動物達にとっては、実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、コントロールできるという認識の方が、はるかに大きな意味を持つ」



 今の不快な状況は、行動によって回避できるものかもしれない。

 動物実験のように簡単に抜け出せるものではないかもしれない。そこは人間社会だから、相応の努力は必要だろうし、くじけそうになる目に合うことも多いだろう。

 でも行動すれば、不快な電流に永遠に苦しめられることがなくなる可能性がある。


 コントロールは手元に戻ってきている。


 苦痛に耐えて、哀れっぽく鼻を鳴らすだけではだめだ。

 ただじっと横たわって、苦しみ続けてはだめだ。

 周りに壁を飛び越えたイヌがいるかもしれない。



 いま自分たちに求められる最適な行動は認識することだ。



 「いまわたしたちは、コントロールできる環境にいる」




 以上、若造の猿知恵でした。